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ヒューマンドラマ

第2回「しなコン!」レギュラー部門受賞作品

放浪生活中の中年男「櫂」は、とある浜辺でひとりの女性に出会う。彼女「みなと」は、水を湛え、懐中時計を沈めた金魚鉢を大切そうに抱え、佇んでいた。
過去と未来に怯え、惑う男と、見失いそうな現実をなんとか踏みしめ未来を睨む女が交差した時、それぞれの「旅路」が動き出す。

はじめにお読みください

  • 本作品は第2回「しなコン!」レギュラー部門受賞作品です。
  • 本作品はフィクションです。実在の人物・団体とは一切関係ありません。
  • 本作品は「こえコン!」関連イベントや公式配信での上演だけでなく、一般の声劇配信などでもご利用いただけます。なお、その際の台本の利用規約については、作者である「瀬季ゆを」様のサイトに掲載されている「利用規約」に準じます。ご利用の際は、必ず下記リンク先をご確認ください。
  • Rules (利用規約)|惑星ゆを
登場人物

みなと

【みなと(みなと)】女性
懐中時計を沈めた金魚鉢を抱えて浜辺にたたずむ女性。二十五歳。


【櫂(かい)】男性
みなとを見かけて声をかける男性。放浪生活中の四十五歳。

シナリオ

 

―とある浜辺


 

(水を湛えた金魚鉢を抱えて、みなとが砂浜に座っている)


 

(櫂がやってくる)


となり、いい?


みなと

……


 

(みなと、ゆっくりと身じろぎして隣にスペースを作る)


みなと

……どうぞ。


こんなに広い砂浜で、こんなに場所が余ってるのに、なんでわざわざ隣に来るんだろう、って思ってる?


みなと

……少し。


まあ、そうだよね。


みなと

……


煙草、吸っていい?


みなと

あれ、見えないんですか?


 

(みなと、波辺の立て看板を指さす)


 

(看板には「禁煙」の文字)


マジか。おかしいなあ、昔は吸えたはずなんだけど、この浜辺。


みなと

昔って、一体いつのことを言ってるんですか。あの看板、相当古そうですけど。


その辺はあんまり深堀りしないでほしいかなあ。


みなと

どうして?


おじさんだから。


みなと

意味が分かりません。


ま、いいじゃない。どうせそんなに興味もないでしょ。


みなと

まあ、そうですね。


 

(少しの間)


 

(櫂、胸ポケットから煙草を取り出し、くわえる)


みなと

さっき禁煙の話をしたばっかりだと思いますけど。


くわえてるだけ。


みなと

……


精神安定剤みたいなもんよ。そうでもなきゃ、おじさん、若い女の子と話続けらんないから。


みなと

そうですか。


……


みなと

……


それ。


みなと

はい。


そのずっと抱えてるの、なに?


みなと

……金魚鉢です。


ああ、うん。それは見れば、うん。


みなと

……


ごめん、聞き方が悪かった。なんで君は、懐中時計を沈めた金魚鉢なんか抱えて、こんな浜辺にいるのか、って聞きたかったんだ。


みなと

……沈めてません。


ん?


みなと

「育てて」いるんです。


何を?


みなと

私の、赤ちゃんです。


その懐中時計が、君の赤ちゃん?


みなと

いえ、この時計は「証明」です。


証明?


みなと

見てください。


何も……見えない、ように思うけど?


みなと

はい、今はまだ肉眼では見えません。けど、この水の中には、確かに私の赤ちゃんが生きているんです。だからほら、かちかち、って。


それは、時計の音だろう?


みなと

この時計、水の中でも壊れることなく、ずっと規則正しく時を刻んでいるんです。もう何週間も。不思議でしょう?だからこれは、まだ小さくて目に見えない私の赤ちゃんの心音を、私に聞かせてくれているんだと思うんです。


……そうか。


みなと

だから、生きてるんです。私の赤ちゃん。育つ場所を、私の子宮からこの金魚鉢に変えただけで。


それで、君は、そんな小さな子供を抱えて、どうしてこんなところへ?


みなと

海を見せたかったんです。私、海が好きだから。見せたかったんです。この子に。


……


みなと

一緒に、見たかったんです。


思い出作り、みたいな?


みなと

その言葉、嫌いです。


え?


みなと

過去ばっかりで、もう未来がないみたいじゃないですか。


……


みなと

この子にも私にも、未来があるんです。長い長い、未来が。


そうか。


みなと

……


……


みなと

深堀りしないんですね。


深堀りされたいの。


みなと

いいえ。私はおじさんではないけど、深堀りされたくはないです。


んじゃなおさら聞かないよ。


みなと

それならなんで、わざわざ隣に来て話しかけたりしたんですか。


……うーん


みなと

なんですか。


これを言っていいのか、分からないんだけど。


みなと

はい。


死ぬんじゃないかって思って。


みなと

……私が?


そう、君が。


みなと

……


別にほっとくこともできたけどさ、それで本当に死なれたら、なんとなく嫌な気分になる気がして、つい話しかけちゃっただけ。


みなと

嫌な気分、ですか。


なんとなく、ね。ちょっと「しこり」になりそうだな、ってくらいの感じ。


みなと

しこり。


話しかけたところでどうせ大したことはできないから、後悔って名付けるほどのものでもない。かといって、「夢見の悪さ」っていうほどの距離の近い仄暗さでもない。ただ、それでもきっと、ただ漠然と忘れられなそうだなってくらいの「しこり」。


みなと

……


それがね、なんとなく嫌だっただけ。


 

(少しの間)


みなと

そんなに……


うん?


みなと

そんなに訳アリに見えましたか、私。


まあね。


みなと

……


それなりに意味深でしょ、その金魚鉢は。


みなと

……そう、ですよね。それは、うん、そうです。


……まあでも、死のうとしてるわけじゃなさそうで、良かったよ。


みなと

え?


「私にもこの子にも未来はある」って言ってたじゃない。


みなと

……


だから、おじさんはこれ以上深堀りしないって決めたの。余計なお世話になりそうだから。


みなと

じゃあ……


ん?


みなと

じゃあ私、今から独り言を言ってもいいですか。


それ、俺が聞いていていいやつ?


みなと

深堀りはされたくないけど、誰かに聞いていて欲しい独り言です。


相槌くらいは打ってもいい?おじさん、黙って聞いていられないタイプだから。


みなと

どうぞ。


ん。


 

(みなと、深呼吸をする)


みなと

……ばかばかしいことだって、不毛で無意味なことだって、分かってるんです。こんな、ごっこ遊びにもならないこと。


うん。


みなと

私の赤ちゃんは、とうにこの世にいないってことも。


……


みなと

この懐中時計は、赤ちゃんの父親だった男がくれました。おじいちゃんの形見ですごく大切なんだって、いつも言っていました。だから私、彼が別れようって言った時に、強引に奪ったんです。私とこの子を、彼の人生の、それこそただの漠然とした「しこり」になんてさせないために。


こわ。


みなと

……赤ちゃんが生きて生まれることはできないってお医者さんに言われて、悲しかった。


……うん。


みなと

傷ついた顔で他の女に慰めてもらいに出かける彼の姿を見るのは、虚しかった。


虚しかった?


みなと

怒るより、悲しいより、空っぽになった私の中が、ただ寒かった。


そうか。


みなと

だから、もう一回満たそうと思ったんです。悲しいのも虚しいのも嫌だから、ここに空いた穴を、純粋なあの日の愛おしさで、満たそうと思ったんです。


それで、金魚鉢か。


みなと

おなかに抱えて歩いていたら、なんだか本当にまだ赤ちゃんが生きていて、なんなら大きくなっていっているような気さえしました。未来が、優しいものに包まれていくような気がしました。過去が苦くても、生きていけるような気がしました。


……


みなと

でも、分かってるんです。本当に、こんなの意味のないことだって。はたから見たら、確かにおじさんの言う通り、ただの死にそうな訳アリ女にしか見えないって。


……


みなと

……良かったです。


え?


みなと

おじさんに話しかけてもらえて良かった。いいきっかけになりました。


……


みなと

自分を誤魔化すのは、もう今日で終わりにします。現実を、見なきゃ。私の赤ちゃんは、もういない。この金魚鉢は、ただの金魚鉢で、懐中時計はただの恨みの象徴。そう、そうなんです。


 

(少しの間)


……あのさ。


みなと

はい。


ちょっとおじさんの独り言も聞いてくれる?


みなと

え?


まあ、独り言だから勝手に喋るんだけど。


みなと

……


俺は歳食ってるだけで、年齢を重ねればぶつかるような、ありきたりな悩みや挫折くらいしか経験してこなかった。君のような「体が空っぽになるような」経験も、したことはない。


みなと

別に、いいんじゃないですか。そっちの方が幸せです。


ああ、俺もそう思う。でもね……


みなと

でも?


……さっきも言ったけど、別に俺にはつらい過去も何もない。何もないと思っていた。だけどある日、過去を振り返ってみたら、その時間の膨大さと同じくらいの量の、小さな「しこり」が、そこかしこにあった。いつのまにか、だ。


みなと

……


そのくせ、未来はもう、過去に比べるとほんのちょっぴりしか残っちゃいなかった。


みなと

……それで?


名前もつかないような小さなしこりばかりの道を振り返って、目の前の道の短さを知った時、俺はこれで良かったんだろうかと恐ろしくなった。……名前もない、その内容も覚えていないようなしこりを大量に残しながら、「そんなものだ」とただ漠然と生きてきた自分を、疑ってしまったんだ。


みなと

疑う。


自分が選んできたはずの道のりなのに、なんてつまらなく実りのない生き方なんだろうか、本当にこれで合っていたんだろうか、ってね。未来と呼んでいたものの終わりが見えてきた途端、急に怖くなったんだ。そうしたら今度は、全て投げ出したくなった。怖くて怖くて、全部なかったことにして、なんとか目を向けないでいられないかって、いてもたってもいられなくなった。


みなと

それで、この浜辺に?


うん。衝動のまま本当に全部投げ出して出てきて、気づいたらここに来てた。


みなと

何が、そんなに怖いんですか?


なんだろうね。


みなと

だから、私に声をかけたんですか。もうしこりを残さないように。


そんなところ。そしたらさ、死んじゃうんじゃないかと思っていた女の子は、俺なんかよりよっぽど考えて考えて、自分の足元に生まれた大きなしこりと向き合って向き合って、それでもなお、なんとかして「私には未来がある」と前を向こうとしていた。見ないふりして逃げたって、誰かを死ぬほど責めたって、別にいいのにさ。


みなと

……


あれ、俺もしかして、もしかしなくても、ちょっと……いや、すごくカッコ悪いんじゃないか、って思ったよ。


みなと

……別に私、そんなカッコいいものじゃないです。


うん、カッコよくはないんだと思うよ。でも、転んで泥にまみれても、ちゃんと生きてる人なんだと思った。


みなと

あの


ん?


みなと

……もしかして口説いてます?


え?


みなと

弱ってる女ならいけるだろう、みたいな。


 

(櫂、しばしぽかんとした後、ふっと笑う)


そう見えちゃうよねえ。おじさんが若い女の子にそんなこと言ってたら。ああほんと、俺、なんでおじさんなんだろうなあ。


みなと

……意味が分かりません。あと私言うほど若い女の子じゃないです。もう二十五なんで。


おじさん四十五。だから、じゅうぶんにおじさんと若い子。問題のある構図。


みなと

……


とにかくね、君のやっていることがどんなに不毛で、ばかばかしかったとしても、俺にはきっとこの先にもできないことで、だから……なんだろうな、応援したくなったってだけ。


みなと

応援……


お金あげるとかはできないけどね。おじさん、放浪生活でお金ないし。


みなと

いや、別に要らないです。


ま、なんだ。別に嬉しくないかもしれないけど、君のその金魚鉢のなかの赤ん坊の父親が、君たちのことを過去の小さな、名もないしこりとしか扱わなかったとしても、俺は君たちのことを、きっと一生忘れられないしこりとして、何度も振り返ると思うよってだけ。


みなと

……


ありがとね。


みなと

お礼を言われることじゃないです。


言わせておきなよ。所詮ただの独り言だから。


みなと

……


 

(少しの間)


みなと

あの。


ん?


みなと

私の赤ちゃん、まだ名前がないんです。


……


みなと

名前を付ける前に、いなくなっちゃったので。


そっか。


みなと

名前、考えてください。


はあ!?


みなと

名前、つけてあげたかったんです。ずっと。だから、一緒に考えてください。


いやいやいや、そういうの行きずりのおじさんにさせることじゃないでしょ。


みなと

でも、今私以外で赤ちゃんのことを一番大切に思ってくれてるの、おじさんだから。


ええ……


みなと

だめですか?


……


みなと

……


……


みなと

……


……「なぎ」?


みなと

え?


いや、男の子でも女の子でもよさげな名前がいいかなって。


みなと

なぎ……。


海、好きなんでしょ?だから「凪」。静かで穏やかな海って意味で。


みなと

……


やっぱ変じゃない?こんなおじさんがそんな


みなと

素敵だと思います。


え。


 

(みなと、金魚鉢を抱きしめて)


みなと

凪。凪。聞こえる?あなたの名前だよ。……ねえ凪、見える?海だよ。凪の名前のもとになった、海だよ。おっきいね。広いね。……綺麗だね。


……


みなと

凪。


 

(みなと、金魚鉢を抱えて波打ち際へ走っていく)


あ、ちょっと!


みなと

……っ!


 

(みなと、金魚鉢を逆さにして、中の水を海に注ぐ)


……金魚鉢の水、流しちゃったのか。


みなと

……


良かったのかい?水の中には、その……


みなと

はい。私の赤ちゃんがいました。ばかばかしいかもしれないけど、いたんです。


……


みなと

だから私は、お母さんとして、未来へ向かって押し出してあげなきゃいけないって、思って。私の赤ちゃんは、私のものじゃないもの。それに赤ちゃんの未来は、私のそれより、ずっと長いんだもの。


……そうか。


 

(みなと、水平線に視線を巡らせる)


みなと

行っておいで、凪。地平線の向こうまで、旅をしておいで。凪はきっと、まだまだ遊びたかっただけなんだよね。だからいーっぱい、好きなだけ、気が済むまで旅をしておいで。


……


みなと

それで気が済んだら――気が向いたら、また会いに来てね。


……


みなと

待ってるからね。


 

(少しの間)


 

(みなと、金魚鉢の底に残った懐中時計を手に取る)


その懐中時計はどうするの。


みなと

本当は海に放り投げちゃいたいところですけど、海を汚すのも嫌なので、どこかで適当に捨てます。金魚鉢と一緒に。


そうか。


みなと

……ありがとうございました。


やめてくれよ。恥ずかしい。


みなと

ただの独り言です。


……あのさ。


みなと

はい。


煙草、吸っていい?


みなと

何回目ですか、このやり取り。


ごめん。


みなと

それじゃあ、私はこれで。


ん。


みなと

さようなら。


気を付けて帰りなさいよ。


みなと

おじさんくさい。


おじさんですから。


 

(二人、くすりと笑う)


みなと

おじさんも。


ん?


みなと

気を付けて帰ってくださいね。


ああ、そうするよ。


 

(みなと、櫂に背を向けて歩き出す)


 

(櫂、ぼんやりと海を見ている)


 

(波が寄せては返している)


 

【幕】

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