「――ねえ、みんな! 僕と一緒に、演劇を楽しもうよ!」
演劇に自分自身の価値を見出していく二人の女子高校生のお話です。
登場人物
安生煌(あんじょうあかり)。高校一年生。華奢でボーイッシュな少女。僕っ子。元陸上部。
賀集凛(かしゅうりん)。高校三年生。長身で切れ長の目が特徴の美人。演劇部のエースで、主に男役を務める。
シナリオ
(※煌と凛いずれも、劇中劇として一部「少年」役、および「沖田総司」役(こちらは煌のみ)のセリフがありますが、必ずしも少年声でなくても構いません。楽しく演じていただければ幸いです)
(※「」で括られてない箇所はナレーションもしくはモノローグとしてお読みください)
四月上旬。高校に入学したての頃、新入生歓迎会のクラブ発表で、数ある部活の中から最も印象に残っていたのが、《演劇部》の演目だった。
「……人は皆、迷いながら人生を歩む。自分は何者なのか。どんな自分になりたいのか。迷って迷って、色んな自分を演じながら、本当の自分を探すんだ」
各自に割り当てられた持ち時間は、それぞれ10分と短かったけれど、部活の紹介と劇の実演を兼ねたその内容は、それでひとつの作品と言えるほど、とても完成度の高いものだった。
「ここならきっと、キミは何者にでもなれる。どんな自分でもいられる。そして、本当の自分を見つけられる。だから――」
そしてその中に、一際、輝いて見えた存在がいた。それは、170センチはあるかという長身かつ抜群のスタイルを備えた、凛々しい顔立ちの女子生徒。
彼女はその劇で男役の主人公を演じており、とてつもない大きな魅力を放っていた。
「――ねえ、みんな! 僕と一緒に、演劇を楽しもうよ!」
ぼくは、男役を演じていた彼女の存在感あふれる演技に、そして、彼女の輝かんばかりのオーラに、ひたすら圧倒されてしまっていたのだ。
その日の放課後、ぼくはさっそく、演劇部がいつも練習を行っているという場所に足を運んだ。するとそこには、数名の生徒たちに交じって、綺麗な長い黒髪をポニーテールに結った、長身の女子生徒の姿があった。
それは、まぎれもなく、あの時、主人公を演じていた――
「――し、し、しし新入生歓迎会のっ! ぼく、見ました! え、演劇のっ! あのっ!」
「あ、あはは。そんなに焦らなくても大丈夫だよ、落ち着いて。新歓の部活紹介を見てきてくれたの?」
「は、はい! 先輩の演技を見て! すごく感動して! それで……っ!」
「……私の演技を? ふふ、そっか。それは嬉しいな。私は賀集凛。三年A組の生徒だよ」
「ぼ、ぼくは、安生煌っていいます! 一年C組です!」
「まあ、見学の期間は一週間あるし、入部するかどうかは、ゆっくり決めて良いから――」
「お、おお、即決……えっと、でも、本当にいいの?」
「ふふっ……わかった。それじゃ、これからよろしくね」
「〝ぼくなんか〟じゃないよ。アカリちゃん可愛いんだから、もっと自信を持って、ね?」
「そうだよ。だから、そんなに自分を貶すことなんて――」
「――あ、あの、あのあのあの、ぼく、その、あのっ!!! むきゅう……」
「え、ちょっ、アカリちゃん⁉ 大丈夫っ⁉ しっかりしてーーー⁉」
そうして、あの子――安生煌が演劇部に入部してから、約一ヶ月が経った頃。ゴールデンウィークも終わりに近づく五月五日。
地元の公民館のホールを貸し切って行われる小さな発表会で、私たち演劇部の伝統的な定例公演が開催された。
いわば新メンバーの〝お披露目公演〟という性質もあり、三年生と二年生による演目と、新たに入部した一年生をメインとする二本立てとなっていた。
私は、本番を終えてホッとした表情で舞台を降りてくる一年生たちを迎え入れつつ、安生煌に声をかけた。
「――お疲れ様! とても良かったよ、アカリちゃん!」
「最初はガチガチに緊張してて心配だったけど、途中からまるで別人みたいに……ちょっとびっくりしちゃった」
「あ、はは……初めての本番の舞台だったんで、ぼくもう頭真っ白で、何にも覚えてなくて……」
「あーいや……もしかしてさ、アカリちゃんて前に陸上とかやってた?」
「えっ……あっ、ひ、人違いじゃないですかっ⁉ ぼく、そんな、陸上なんて、全然……」
「んー、そっかあ。やっぱり私の勘違いだったかなぁ……一昨年の中学校の県大会に、安生ってハードルの選手がいたと思ったんだけど……」
「フォームがすごくきれいだったなぁって、なんとなく印象に残っててさ。確か、タイムもけっこう上位のほうじゃなかったかな」
「……えっ、り、リン先輩も陸上やってたんですか⁉」
「え、えっと、その……県大会の会場にいたってことは、そうなのかなぁって……あはは」
「ああ。いや、私は中学からずっと劇部なんだ。後輩の子の、応援の付き添いでで行ってただけだよ。後輩の彼氏くんが走高跳の選手でね」
「ん……どうしたの? なんだか顔色悪いよ、アカリちゃん」
「すみません……なんか、緊張しすぎて、疲れちゃったみたいで……」
「そっか……今日はすごく頑張ったしね。帰ったらゆっくり休むんだよ?」
まさか、リン先輩が、あの頃の自分を知っていたなんて。
「……あの頃のぼく……今のぼくなんかじゃない、本当のぼく……」
ぼくは中学二年まで、陸上部だった。元々足は速いほうで自信もあったし、特にハードルを飛び越える瞬間が気持ちよくて、夢中になって走った。
中学二年の県大会、100メートルハードルの競技で結果を残し、三年時には全国大会出場も夢ではないと期待されていた。
ぼくではないぼくになるために、高校に入って演劇を始めた。
でも、こうして未だに過去にとらわれている限り、きっとぼくは、昔のぼくのままなのだろう。
――何故だろう。まったく違うはずなのに、思えば私は、彼女に自分を重ねて見ていたのかもしれない。
今から約五年前。私が小学校を卒業したばかりの頃、両親が離婚した。
私は父に引き取られたが、しばらくして父も離婚のショックからか心を病み、やがて母の面影の残る私を置いて、行方をくらませた。
それから私は、叔父夫婦に引き取られた。叔父と叔母は、子宝に恵まれなかったこともあり、まるで我が子のように私に接してくれた。でも、私は心のどこかで、また棄てられてしまうのではないかと、不安に感じていた。
そしていつしか、私は自分の周囲に、人がいなくなってしまうことを恐れた。
棄てられたくない。必要としてほしい。私を好きでいてほしい。
でも、今の自分じゃダメだ。汚いから。醜いから。だから私は棄てられたんだ。
もっともっと《キレイな私》になれば、もう誰にも棄てられないだろうか。
美しく着飾って、美しく振舞って、美しく輝き続ければ。
「そうですか? それなら、良いんですけど……なんだか、すごく険しい顔をしてたので……」
「あはは。いや、ほら、今日の晩御飯、何食べようかなって思って」
「そ、そんなに真剣にご飯について悩む人、初めて見ました……」
「え、そう? ご飯は大事だよ? ……って、それよりも、アカリちゃん。最近、本当にうまくなったよね。自信もだいぶついてきたんじゃない?」
「そんなことないですよ! ぼくなんか、まだまだです!」
「そうかなぁ。見違えるようになったと思うよ。劇部に入ったばっかりの頃なんか、ずっとおどおどしてたし」(くすくすと笑う)
「そ、それは……緊張しいなんで、仕方ないじゃないですかぁ……」
「ふふ。そういうところは変わってないよね。かわいい」
「でも、ほんと、演劇始めたばっかりとは思えないよ。お芝居に入ると、ガラッと人が変わるっていうか……」
「……あの、リン先輩はどうして劇部に入ろうと思ったんですか?」
「そうだなぁ……簡単に言えば、私じゃない私になるため、かな」
「――さ、このあと何か食べて帰ろっか。マック奢ったげるよ」
GWも明けた、五月のある日。六月に開催される春季地区発表会で上演される演目が決まった。
ジャンルは時代劇。幕末を舞台に、新選組の沖田総司を主人公とした、オリジナル脚本となった。
演劇部顧問の完全な趣味ではあったが、部員たちは普段あまりやることのない題材だからか、みんな楽しみに感じているようだった。
肝心な配役は、部内オーディションによって決められた。
そして私は見事に、主人公である沖田総司の役を射止めた。
これまで男役としてある程度の実績を積んできた自負はある。
これまで頑張って努力して、演技力を磨いてきたという自信もある。
だからほとんど、主役は最初から私で決まっていたと言っても過言ではなかった。
五月のとある日曜日。すっかり日も暮れた中、私はバイトの帰り道に、先日行われた部内オーディションを思い出しながら、悶え苦しんでいた。
そんな不安は、私の頭に常に付きまとう。たとえ最初から私に主役が決まっていようとも、それで安心できることなど一切なかった。
「お願い、棄てないで……お父さん、私を棄てないで……!」
私は必死に涙を拭い、道路標識のポールを支えにしながら、発作が収まるのを待った。
私の目に映ったのは、向かいの道から歩道橋を渡って走ってくる、安生煌の姿だった。
その時、日の暮れた国道沿いの歩道を、ぼくは心の中の不安を振り払うように無我夢中で走っていた。
でも、今のぼくにはもう、あの頃のような速さはない。
だから、だからあの頃のぼくではない、新しいぼくを見つけようと思った。
そして、リン先輩と出会って、演劇に出合って、ぼくは変わった。
――現実と向き合うのが怖いから、過去から逃げているだけなんだ。
「あーいや、あはは。ちょうど、バイトの帰りでさ……――いっ⁉ 痛ぅッ……!」
「は、はは……うん、大丈夫だよ……っつぁッ! あー……ご、ごめん、アカリちゃん、肩貸してもらっていいかな?」
――苦笑いを浮かべる凛の顔を見て、煌の目から次第に涙が零れ落ちる。
「せ、先輩……ごめんなさい……ごめんなさい……ぼくのせいで……」
「ほんとに、大丈夫だよ。これくらいどーってことないから」
「ど、どうして……どうしてぼくなんかを……ぼくなんかのために……」
「こーら。ぼくなんか、じゃないでしょ。そんなに自分を卑下するんじゃないの。キミは大切な後輩なんだから」
「何かを追いかけていた? それとも、何かから逃げ出したかった? キミがどうして、あんなに必死に走ってたのは分からないけれど、その理由は聞かないし、それを咎めることもしない」
「だけど、その代わり、これだけは約束して? キミを助けたのも、私自身がそうしたかっただけなんだから。……だからこそ、キミは自分のせいだと思わないで。キミ自身を責めないで。……いい?」
「――いやー、私としたことが、階段から足を踏み外しちゃってさ」
翌日の月曜日。あの後、どうにか帰宅したリン先輩は応急処置を施し、朝から病院で診察と治療を受けていた。
そして、放課後の部活に姿を見せたリン先輩は、包帯でぐるぐるに巻かれた足が痛々しく、松葉杖を使わなければ歩くことも難しい様子だ。
軽度とは言え、靭帯損傷を負った彼女の足は、全治まで早くても二、三週間と診断されていた。少なくとも、最初の一週間は安静が必要だ。
地区大会までは、残り二週間しかない。たとえ、当日までに回復が間に合ったとしても、練習時間を考えれば、ぶっつけ本番はあまりにも無謀すぎた。
顧問も部員たちも、リン先輩を責める者は誰一人いなかったが、主役が舞台に立てなくなってしまったことに対して、リン先輩は深々と頭を下げた。
先輩がぼくを庇ってくれているのは分かり切っている。
今すぐにでも「自分のせいです」と名乗り出て、ぼくが代わりに頭を下げたい。
でも、先輩は、ぼくに視線を向けると、ウインクでそれを制した。
顧問は、起きてしまったことは仕方ないと切り替え、そのまま予定を進めることにし、負傷したリン先輩に代わって、主人公の沖田総司には代役が立てられることになった。
あれから二週間、急遽主役に抜擢された安生煌は、夜遅くまで居残り稽古しながら、必死に練習を重ねていた。
そして、ついに春季地区発表会、本番当日が訪れた――
「あ、先輩……すいません、まだちょっと不安で、台本チェックしてて……」
「ってことは、メイクも衣装もまだってことだね。しょうがないな……ほら、こっちおいで。私がやってあげる」
私は、アカリの顔にファンデーションを塗り、その上にアイライン、アイシャドー、マスカラ、チーク、口紅と、舞台上で映えるように、少し濃いめにメイクを施していく。
そして、浅葱色の下地に白いダンダラ模様が入った羽織りをまとわせ、腰まで届くほどの長髪のウィッグを被せ、同じく浅葱色のリボンでポニーテールに結う。
「……沖田総司ね。言ってなかったけど、ある意味、私が一番やりたかった役……かな」
「うん。私が男役やるようになった切欠がね。まあベタな話なんだけど、宝塚歌劇でさ」
「中学生になったばかりの頃、いろいろあって凹んでた時に、初めて生で舞台を見て、衝撃を受けたんだ。そして、あんな華やかな世界に、自分も立ってみたいって思った……」
「……その時の演目が、沖田総司を主人公にした新選組のお話でね。女性が演じる華麗な美少年剣士――その姿に憧れて、自分もああいう風になりたいと思った。……私じゃない私を、そこに求めた」
「そんな……そんなにリン先輩にとって大切な役を……ぼくが……」
「あ、誤解のないように言っておくけど、これは贔屓したんじゃないよ。もちろん、キミが私のファンになってくれたからとか、そりゃあ、ちょっとは嬉しい気持ちもあったけど、決してそういうんじゃない」
「それに、あの一件があったから、情が移ったとかでもない。ただ純粋に……沖田総司を演じる、キミの演技を見てみたい、そう思ったからなんだ」
「そ。だから、私の分もさ……思いっきり楽しみながら、思いっきり力いっぱい、演じてほしいんだ」
「まったくもう、〝ぼくなんか〟じゃないって、何度も言ってるでしょ。いい? これは、キミにしかできないことなんだよ」
「そう、決して私の代わりではなく、キミ自身の演技で――」
その白くて細いきれいな首筋を、両手で思いきり絞めつけたい。
親指に力を込めて、動脈を圧迫して、気道を塞いで――
彼女は、その可愛らしい顔をひどく歪ませる。掠れた声を喘ぐように絞り出す。
気付いた時には、彼女の華奢な身体をきつく抱きしめていた。
「どうして、こんな抱きしめて……あの、嬉しいですけど、ちょっと苦し……って、リン先輩……大丈夫、ですか……?」
「できないッ、できるわけないよぉッ……だってキミはぁ、私の大切な、後輩だもん……ッ!」
――しばし咽び泣いた後、凛は嗚咽を堪えるようにして静かに語り出す。
「――聞いて。アカリちゃん。……私は、本当の私はね、キミの思ってるような人間じゃないんだ。本当の私は、ずるくて、卑屈で、嫉妬深くて、怖がりで、弱くて醜くい、最低の人間なんだよ」
「そんなこと! そんなことないです……っ! リン先輩は、綺麗で、かっこよくて、いつだってぼくの憧れで!」
「大好きな先輩なんです! だから……そんな悲しいこと言わないでください……だって、ぼくなんか、ぼくなんかが、リン先輩の代わりなんて――」
「そう言ったでしょ、アカリちゃん。だから、自信を持って。……私のことはいいから、自分自身に集中して!」
「泣かないで……キミは、泣いちゃだめ。だめだから……!」
「ほら、今泣いたら、せっかくのメイクが台無しでしょ……? だから、泣くのは精一杯、やり遂げたあとでだよ……ね?」
「だから……さあ、行って。キミの最高の演技を、私に見せて」
―― 一呼吸置いて、煌も精一杯の元気な声で凛に応える。
――時は幕末。新選組と攘夷志士。相容れぬ男たちの生き様。すれ違う心。そして、そんな彼らの間で揺れ動くヒロインと沖田総司の、淡く儚い、叶わぬ恋を描く、オリジナル脚本。
そのクライマックスで、沖田が相対したのは、ヒロインの兄だった。彼は倒幕運動に身を投じる攘夷志士で、仲間たちと共に連続的にテロ事件を起こしていたのだ。
「あなたが、この一連の事件の首謀者だったんですね……」
「……私には、二人の兄貴分がおりましてね。どちらも、忠を重んじ、義に厚い、とても素晴らしい人間ですが……」
「いかんせん、武士として生きる以外に、その術を知らない。己が信念を、愚直なまでに貫き通すことでしか生きられない、本当に不器用な人間たちなんです」
「その点では、あなたも実によく似ている。不器用にしか生きられないからこそ、こうすることでしか、あなた自身の答えを得られないのでしょう」
「……それなのに、たかが理想とするものが違うというだけで、互いに相容れない。人とはどうして、かくも度し難い生き物なのでしょうか」
そう言って、沖田――いや、安生煌は、物憂げに目を伏せた。
儚い美しさを感じさせるその表情は、瞬く間に観客たちの心を虜にする。だが、それだけではない。
舞台袖から見守る、私たち劇部員を含めた誰しもが、思わず感嘆のため息を漏らした。
「ならば私はどうかって? ……フッ、そうですね。私も所詮、戦いの中でしか生きられない生き物なのですよ」
それはまさしく、冷たい殺気を帯びた獣の眼。先ほどまでの哀愁漂う空気から打って変わり、ひりつくような緊迫感を肌で感じ取りながら、観客たちは一様に息をのむ。
「なぜなら、私は人に非ず――ただの鬼です。戦場に生きる、悪鬼羅刹に過ぎない――」
「――そう、結局は。あなたも、わたしも――似た者同士ということです!」
その眼は、芝居上の相手を超えて、まるで舞台袖にいる私の心を射抜くかのようだった。
そして、兄の凶行を止めてほしいと沖田に願ったヒロインは、彼の剣によって倒れ伏した兄の亡骸に駆け寄り、涙ながらに礼を述べた。
そんな彼女に別れを告げ、沖田は何処かへと去ってゆく。
「さようなら。もう会うことはないでしょう。どうか貴女は、幸せになってください。それだけが、私の仄かな願いです――」
そして、舞台に幕が降りた瞬間、会場内は万雷の拍手に包まれていた。
一言でいえば、彼女は天才だった。彼女の演技が、この会場にいたすべての者の心を鷲掴みにしていた。
およそ高校演劇の、しかも公式な大会で上演するような演目ではなかったかもしれない。それでも、彼女はこの難しい時代劇を、演り遂げた。完璧なまでの演技を見せつけたのだ。
「リン先輩……! ぼく、ぼく! うまくできたでしょうか……? 最高の演技を、見せられたでしょうか……!」
――涙を浮かべながら微笑む煌を、凛は優しく抱きしめる。
「うん……うんっ! 本当に、本当に最高だったよ、アカリちゃん……!」
「あの、リン先輩……一つだけ、謝らないといけないことがあります……ぼく、嘘をついてました」
「ぼく、ほんとは陸上、やってたんです。中学の時まで……」
「ああ、やっぱり……あれ、アカリちゃんだったんだ。でも、どうして……?」
「ぼく、ケガしちゃって。治ったけど……あの頃の走りは、もうできなくて……」
「だから、ずっとなりたかったんです……自分ではない誰かに……。過去の『わたし』はもういない。だから、今の自分は『わたし』じゃない。だから、今は『ぼく』なんです」
「……はは、痛い子ですよね、ぼく……でも、うっ、ぐすっ……でもぉ……ぼく、なりたかったんです……本当のぼくに……ッ!」
「そっか……やっぱりキミも、私と同じだったんだ……」
「良いんだよ。もう大丈夫……本当のキミは、ここにいるんだから」
「あ、ごめん、違うんだよ。だからって、それがアカリちゃんのせいだとか、そういうんじゃないんだ。今日の演技を見て、主役はアカリちゃんで良かったって心から思う」
「きっと、私がやってた以上に、すごく良い演技だったと思う。だから私は、ただ純粋に、アカリちゃんってすごいなって思うし……悔しいなって思ったから……」
「――だから、自分も、もっと頑張ろうって思えたんだ」
「私は、キミに救われたんだ。私の心を……救ってくれたんだよ。だから――ありがとう、アカリちゃん。私は、キミに出会えてよかった」
――煌は涙で顔をぐじゅぐじゅにしながら、満面の笑みで返す。
「……ぼくも、あなたに出会えて、幸せです。リン先輩……!」
翌年。高校卒業後、大学に進学したリン先輩は、芸能事務所のオーディションに合格し、学業の傍ら新人女優として活動を始めた。
きっとリン先輩なら、これからあの華やかな世界で、いつまでも輝き続けるに違いない。
二年生になったぼくはといえば、現在のところはまだ、本格的に役者を目指すという気持ちはなく。
今はただとにかく、この演劇部での活動を目いっぱい楽しもうと思っている。
それから、ぼくやリン先輩のように、本当の自分を探している誰かに、演劇の楽しさを伝えていきたいと思う。
そして、リン先輩からのバトンを受けたぼくは、今日も――舞台に立つ。
「……人は皆、迷いながら人生を歩む。自分は何者なのか。どんな自分になりたいのか。迷って迷って、色んな自分を演じながら、本当の自分を探すんだ」
「ここならきっと、キミは何者にでもなれる。どんな自分でもいられる。そして、本当の自分を見つけられる。だから――」
「――ねえ、みんな! 僕と一緒に、演劇を楽しもうよ!」