No rain, no rainbow

廃ビルの屋上・夕方

ボロボロになっている手すりに手をかける翠。

「もーいーかい。まーだだよ。もーいーかい。もーいいよ」……なんてね……

まーだだよ

っ！　誰！

誰って、それは俺の台詞だよ

……おじさん？

おじさんって失礼だな。まだまだピチピチの三十代だぞ

……そのワードチョイスの時点でただの痛い人じゃん……

えぇ～、ちょっと扱い雑じゃない？　お兄さんは悲しくて泣いちゃうぞ、くすん

……

あぁ……悪かったって。謝るからその目でじっと俺のこと見んのやめてくれない？

（ため息）

んで？

はい？

ピッチピチの女子高生の君はこんな時間にどうして廃墟ビルの屋上に？

……

君、あそこに見えるお嬢様学校の生徒だよね？

なんで！

なんでって聞かれてもなぁ

まさか、あんたってここらへんで騒がれてる変質者？

まてまてまて！　俺のどこをどう見たらそうなるんだよ！

言動

おい！　だいたい、変質者だったらこんなに堂々と声かけたりしないだろ！

そういうもん？

そういうもんだよ！　変質者なら堂々と声かける前に襲うわ！

うわぁ……

だから違うっての！　その制服、有名だから！　この地域に住んでれば誰だって知ってるから！

……

……そんなに疑うんだったら……

疑うんだったら？

君がここに居たこと、学校に連絡するよ？

っ！

お嬢様学校の生徒がこんな廃墟ビルに侵入したなんて知られたら大事だろうね

……

だから……

（遮って）いいですよ

へ？

どうぞ、連絡でもなんでもしてください。私にはもう関係ない事ですから

どうして？

……

……死ぬから？

っ！

お？　図星？

うるさい！　なんなんですかさっきから！

なんなんですかって……そりゃ止めるでしょうよ

生気のない顔して廃ビルに入っていく思春期の若者みつけたら

貴方には関係ないじゃないですか！　ほっといてください！

確かに、俺には全くもって関係ない事だな。君が死のうが生きようが

だったら……

（遮って）でも、見つけちまったんだ

え？

ここに入っていく君を。見つけた瞬間気になってしまった

縁ってのは不思議なもんでね。会ったことない人間でも気づいてしまったら、気になってしまったらそれが始まりなんだよ

……よくわかんない……

そのうちわかるようになるさ。歳をとって、人生経験を重ねて行けばな

……

雨が降ってくる。

あ……

雨が降って来たな。こりゃ、そのまま本降りになるかな～。ほれ、今日はもうお家に帰った帰った

……

雨の日の飛び降りはやめておいた方がいいぞ。まぁ、雨の日に関わらず、自ら命を絶つのはやめておいた方がいい

……なんで？

そりゃ、いろんな人が悲しむから

そっちじゃなくて！

ん？

なんで雨の日はやめておいた方がいいの？

それは……

それは？

（フッと鼻で笑って）秘密だ

は？

今度またここに来たら教えてやるよ

……なにそれ？

気になって死ぬに死ねないだろ？

ばっかじゃないの！

翠、背を向け屋上から立ち去る。

お、気を付けて帰れよ～

（翠の背中を見送り）……悩め悩め若人よ

廃ビルの屋上・夕方・翌日

恐る恐る扉を開ける翠。

……

お、今日も来たのか

きゃぁ！

おわっ！　急になんだよ

きょ、今日も居たんですか？

あぁ、居たよ

……

よかったよかった

え？

今日はちょっと顔色がいいじゃないか

……

さては俺と会えて嬉しかったんだろ？

は？

そうかそうか

ちょっ！　変な勘違いしないでください！

あれ？　違うの？

違うます！

そうかぁ……残念……

え？

誰かとこうやって話すのなんて久しぶりだから、俺は嬉しかったんだけどな

……

まぁ、そりゃそうか。こんな年上のナイスガイに話しかけられてもお嬢ちゃんじゃ対応できないよな

……うざっ

おい、聞こえてるぞ！

ふん！

本当に調子よさそうだな

え？

それで、今日はどうしてここに来たの？　まさか、また死にたいとか思ってないだろうね？

……死にたいなんて思うの、私にとってはいつものことだから

おいおい

でも、おじさん見てたら実行する気はなくなった

ほぅ、それはまたどうして？

こんな能天気で勘違いしまくってる大人でも生きていけるんだって思ったら馬鹿らしくなってきた

勘違い？　俺が？

まさかの無自覚……

にしても、今どきの高校生は大変なんだな～

なにがですか？

いや、死にたいなんて思うのが日常だなんて生き辛い世の中になったもんだと思ってさぁ

……別に、全員が全員じゃないと思いますよ。学生生活を楽しんでる子はいっぱいいると思いますし

そうなのか？

はい

大変だな

え？

よく頑張ってるな。よしよし

剣持、優しく翠の頭を撫でる。

なっ！　ちょっと！

ほれ、ここで吐き出しちまえ

え？

他人だから言えることってあるだろ

……

俺は他人だ。お嬢ちゃんのことは全然知らない。お嬢ちゃんの友だちも親も先生も知らない

俺に話しても誰かに話が漏れることはない

だからって、なんでおじさんに……

気持ちって言うのはな、言葉にしなきゃダメなんだ。言葉にしないとどんどん腐っていっちまう

腐る？

そう。どんどんドロドロとしたヘドロみたいなものが心にたまってきちまうんだ

……なんかやだ……

だろ？　溜まったヘドロはいろんなものを蝕んでいくんだよ

そうならないように言葉にして身体の外に吐き出さないといけなんだよ

だ～れも教えちゃくれないが、生きていく上で大事なことだ

吐き出す……

だから、ほれほれ

……

ん？

私、学校で透明人間なんです

透明人間？

そこにいるのにいないものとして扱われる

それって……

最初は普通に生活してたんです。普通に学校に行って、授業を受けて、部活に参加して

でも、ある時からその『普通』がなくなった

……いじめか？

最初の標的は私じゃなかった。クラスの大人しくて成績も優秀で先生からの評判もいい子が標的でした

最初は無視から始まって、物を隠したり、最後には物を捨てたり。私は気持ち悪くて彼女たちを止めました

最初のうちは「冗談じゃん」とか言って軽く流していた彼女たちでしたが、次第に私のことを「うざい」と言ってその子と同じ扱いをするようになりました

……ひどいな……

殴られなかっただけまだましです

お嬢ちゃん以外に声を上げる人間はいなかったのか？

いません

どうして？

中心になっていた子の後ろが怖いから

……

仕方ないんです。皆、自分の後ろに背負っているものがあるから

……閉ざされた世界なんだな

雁字搦めの世界です。それでも、彼女と私は透明人間にはなれた

いいことなのか？

少なくても、物を隠されたり、壊されたりしなくて済みますから

……そうか

でも

ん？

でも、急に空しくなるんです

空しい？

誰も私を見てくれない。私の存在意義ってなんだろうって

家族は？　家族がいるだろ？

私の両親、長い事仕事で海外に行ってて、年に一回帰ってくればいい方なんです

……

まぁ、だからこそいろいろ自由にやらせてもらってるんですけどね

……なぁ……

雨がぽつりと降って来る。

あ

あ

また雨……

だな……

……もう帰らなきゃ。傘持ってきてないし

なぁ、お嬢ちゃん

なんですか？

No rain, no rainbow

え？

雨が無ければ虹はない

はい

俺が好きな言葉だ

……

辛い事の後には必ずいいことが起こるっていう諺だよ

へぇ……

あ、今、「おじさんのクセにお洒落な言葉知ってる」って思っただろ

……ちょっと？

おいおい素直だな

いい言葉ですね

あぁ

……気持ち、吐き出したらちょっと軽くなりました

そうかい

ありがとうございます

おぅ

じゃあ、また

気を付けて帰れよ～

翠、屋上から出ていく。

……「また」なんてない方がいいんだろうけどな……

廃ビルの屋上・夕方・翌日

雨が降っている。雨を凌げるところでそれを見上げる剣持。

……雨か。最近、多いな……

勢いよく屋上のドアが開く。

……

おっと、びっくりしたぁ。お嬢ちゃんか……って、びしょ濡れじゃないか！

生気なく手すりへの方向へと向かう翠。

……

おい、どうした？

……

お嬢ちゃん！　おい！　そっちは危ない！　止まれ！

……

っ！　おい！

……離してください……

離せるか！　今離したら……

（遮って）死なせてよ！

おい！　落ち着けって！

……死なせてよ……

その場にへたり込む翠。

……何があった？

……私、一人ぼっちになっちゃった……

え？

……透明人間は私だけっ！

翠、鞄に入っている教科書やノートをぶちまける。

……これ……ノート、教科書にも全部……

（泣き笑いながら）「死ね」とか「消えろ」とかなんなんだろう。透明人間の私にこんなの意味ないのに

……お嬢ちゃん……

おじさん、辛い事の後には必ずいいことが起こるって言いましたよね……

……

それってどれくらい我慢すればいいんですか？　どれだけ雨が降ったら虹が見られるんですか？

……何があったんだ？

最初の標的だった子、今度は私を攻撃する側に回っちゃった

え……

仕方ないですよね。皆どんな綺麗ごとを並べたところで自分が一番可愛いんですから

お嬢ちゃん……

もう全部が嫌になっちゃったんです。透明人間でいることも、生きていることも

……

だから、もう止めないでください

……

おじさんには三回しかあってないけど、お世話になりました

私の話、ちゃんと聞いてくれる人がいるってわかって凄く嬉しかったです

（小さく）……やめろ……

だから、帰ってください。ここで私が死んだらおじさんに迷惑がかかるでしょ？

それは嫌だから。だから……

やめろ！　

……

死ぬなんて簡単に決めるな！

簡単なんかじゃない！

簡単だろ！　一時の感情に流されて、その後のことをなにも考えてない！

後のこと？　なにを考えろって言うの？　これ以上他人のこと考えろって？

他人じゃない！　自分のことだ！

え？

死んだらもうそこで終わりなんだよ！　後悔したって仕方ないんだよ！

あとで「こうしておけばよかった」とか、「こんなんしなきゃよかった」とか思ってもやり直しなんて出来ないんだよ！

おじさん？

……こんな中途半端な高さから飛び降りるとな、痛いんだよ

え？

身体が地面にたたきつけられて痛みに苛まれる。すぐになんて死ねない。あんなのはドラマの中だけだ

雨の日に飛び降りたら冷たい雨がずっと身体を打ち付けて、血と一緒に外に広がっていく

お、おじさん？　急にどうしたの？

……死ぬな

え？

どんな手を使って逃げたっていい。ただ、生きろ

……

お嬢ちゃんは俺のように後悔してほしくないんだ……

え……

……俺、死んでるんだ

（息をのむ）

数十年前に。まだこのビルがちゃんとビルとして機能していたときに、ここから飛んだ。雨の日だった

……

これでやっと自由になれるってそう思ったんだ。でも、現実は違った

冷たい雨に打たれて、全身に息が出来ないくらいの痛みが走って、駆け付けてくれた人たちからいろんな視線を向けられて

あぁ、俺は「こんな最後のために？」って、「なんで？」って必死に叫んだ

もちろん、声にはならなかったけど。頭の中に後悔が浮かんだ

……

お嬢ちゃんが置かれている立場も状況ももちろん俺とは違うし、俺の意見を押し付けようなんて思わない。でもな、一度逃げてみて、それから考えても俺は遅くはないと思うんだ

……おじさん……

優しすぎるお嬢ちゃんだから、きっといっぱい傷ついていっぱい我慢して平気なふりをしてきたんだろう

……

もう頑張らなくていい

っ！

これからは自分に一番優しくしてやりなさい

（我慢していた涙が溢れ出す）あ……あぁ……

な？

翠、剣持に縋り泣き出す。

少しの間。いつの間にか雨は上がっている。

（少し鼻をすすり）……ありがとうございました

大丈夫か？

はい……

ならよかった

……おじさん

ん？

私、逃げてみようと思います。負けないために

おぅ

……またダメになっちゃったときはここに来てもいいですか？

そいつはダメだな

え？

……そっか……

あぁ、そんな顔するなよ。せっかくの決意が台無しだ

……

そうだなぁ……あ！

え？

お嬢ちゃん、あれ

……虹だ……

ならこうしよう

え？

お嬢ちゃんがどうしてもだめになりそうになったら、俺はあの虹の麓で待ってよう

……

ん？

（吹き出す）

えぇ？

虹の麓には宝物が眠ってるんでしたっけ？

そう

おじさんが宝物？

あぁ、そうだ。俺という名のお嬢ちゃんの希望がね

くさい

おいおい

でも！

ん？

なんだか頑張れそうです！

そうか

はい

ほれ、じゃあ、お嬢ちゃんは帰った帰った。早く着替えないと風邪ひくからな

……おじさん

ん？

ありがとうございました

おぅ

じゃあ、また

あぁ、またな

幕