ランウェイに孵り咲く

ヒューマンドラマ

第3回「しなコン!」レギュラー部門受賞作品

かつて頂点を極めた後、精神疾患により休業した元人気モデルの天音。彼女は、自身を弱者のまま縛り付けようとする友人・雫の歪んだ共依存に絡め取られながらも、自分を取り戻すために再び過酷なファッション業界へ足を踏み入れる。これは、華やかで残酷なショーの世界を舞台に、自己破壊と紙一重の表現に挑む人々の業を描いた物語。誰かにすがり生きるだけの「壊れた人形」から脱却し、大切な人と対等に歩むための、痛みに満ちた凄絶な再生劇。

はじめにお読みください

  • 本作品は第3回「しなコン!」レギュラー部門受賞作品です。
  • 本作品はフィクションです。実在の人物・団体とは一切関係ありません。
  • 本作品は「こえコン!」関連イベントや公式配信での上演だけでなく、一般の声劇配信などでもご利用いただけます。なお、その際は下記利用規約を必ずご覧ください。
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台本の著作権は放棄しておりません。

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作品概要

タイトル

ランウェイに孵り咲く


作者

よん


作者サイト

声劇台本置き場
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ジャンル

現代劇


上演時間

約30分


男女比

🚹1:🚺3

登場人物

天音(あまね)

女性。元人気モデル。精神疾患により休業中。


雫(しずく)

女性。天音の友人。彼女を支えることに暗い依存と優越感を抱いている。


黒瀬(くろせ)

男性。ファッションショー演出家。狂気と理性の間を揺れ動く。


玲奈(れいな)

女性。現役人気モデル。完璧主義者。天音の崩壊に恐怖と嫉妬を混ぜ合わせる。

シナリオ

 

(雨音。車のワイパーが絶えず水を掃く音が、密室に単調に響いている)


ねえ、天音。外、ひどい雨だね。ワイパーがいくら水を弾いても、すぐに次の雨が窓ガラスを叩きつけて視界を歪ませていくの。なんだか、今のあなたを見ているみたい。


天音

……ごめん。


ねえ、本当に降りるの? 黒瀬さんのスタジオ。もうすぐ到着しちゃうよ。


天音

……行くって、言ったから。


そう、言ったわね。でも、あなたのその震える指先を見ていると、とても自力で歩いてられるとは思えないんだけど。


天音

……ごめんなさい、いつも……。


どうしてそこで謝るの? 私はただ、事実を言っただけよ。あなたが一人じゃご飯も食べられなくて、夜は暗闇が怖いって泣き叫んで、私がずっと手を握ってなきゃ眠れなかったこと。クスリのシートを数え間違えて、パニックになって過呼吸を起こしたあなたを、私が何度も何度も背中をさすって落ち着かせたこと。たった、それだけ。


天音

……雫が、いてくれたから。私、息ができた。


そうよ。だから謝らないで。私、案外嫌いじゃなかったんだから。何にもできない天音の隣で、私が全部やってあげるの。かつては誰もが憧れたトップモデルの天音が、今は私なしじゃ靴紐も結べない。その事実が、私をどれだけ満たしてくれたか。


天音

……。


……でもね、天音がこうやって外に出ようとするなら、私、もう今までみたいに優しくしてあげられないかも。


天音

……え?


私が欲しいのは、私の腕の中でだけ息をする天音なの。外の世界で、他人の目に晒されて傷つくあなたじゃない。それでも行くのね?


天音

……行かなきゃ。私、ここから……。


……分かった。──着いたよ。降りな。傘は私がさしてあげるから、絶対に私のそばを離れないで。


 

(重厚な扉を開け、スタジオへ。喧騒と、張り詰めた空気)


玲奈

黒瀬さん! ここのフォーメーションなんですけど、私がセンターに出るタイミング、音楽のブレイクからコンマ5秒遅らせた方が、ドレスの裾が綺麗に翻ると思うんです。それに、照明の当たる角度も……あれ?


天音

玲奈……ちゃん。


玲奈

……天音、先輩……? どうして。


黒瀬

遅いぞ、雫。……天音。随分と薄っぺらくなったな。まるで枯れ木だ。かつての傲慢なまでのオーラはどこへ行った?


天音

……お久しぶりです……。見学、させてもらえるって、雫から……。


 

 


玲奈

見学……? なんですか、そのボロボロの格好! 髪はパサパサで手入れもされてないし、肌もくすんでる。目の下のクマなんてメイクで隠そうともしてない。私が見てきた、あの完璧で、誰よりも美しかった先輩じゃない。……気持ち悪い!


ちょっと玲奈ちゃん、言い過ぎじゃない? 天音は今、病気でお休みしてるんだから。


天音

ごめんなさい……気分を害するつもりは……。


玲奈

謝らないでください! そうやっておどおどして、可哀想な自分に酔ってるんですか!? 私、先輩が突然消えて空いたあの巨大な穴を、死ぬ気で埋めたんですよ! 毎日毎日、鏡の前で自分の粗を探して、睡眠時間も削ってウォーキングの練習をして、食事だって……先輩の影を追って、先輩を超えようと必死だったのに! なんでそんな、今にも壊れそうな顔で現れるんですか……同情してほしいんですか!? やめてください、私の完璧なステージを汚さないで!


黒瀬

騒ぐな、玲奈。お前のウォーキングは確かに完璧だ。


玲奈

そうでしょう、黒瀬さん! 私が目指しているのは、頂点ですから。


黒瀬

だが、完璧「すぎる」。計算され尽くした動きには、人の心を抉るような毒がない。お前はまだ──ただの美しいマネキンだ。


玲奈

なっ……! 黒瀬さん、それはいくらなんでも!


黒瀬

天音。お前、本当に具合が悪そうだな。立っているのもやっとという顔色だ。大丈夫か?


天音

……黒瀬、さん。私……。


黒瀬

今すぐ病院に行け。ベッドに戻って、ぬくぬくと保護されながら薬でも飲んでいろ。……と言いたいところだが、ここは俺の現場だ。過去を懐かしむための生ぬるい見学席など一つも用意していない。ただの観客でいたいなら、今すぐ踵を返して帰れ。


天音

……帰らない。


黒瀬

ほう? 自分の足で立つことすらおぼつかないくせに、まだ未練があるのか?


天音

私を……そこに立たせて。もう一度、私を。


黒瀬

……いいだろう。その執念、俺に見せてみろ。


 

(スタジオの隅。薄暗い控え室)


天音

玲奈ちゃん、さっきはごめんなさい。


玲奈

……私、先輩が憎かった。ずっと、何か高慢な理由で私たちを見捨てたんだって思ってたんです。自分だけが特別だから、凡人の私たちを置いて高いところへ逃げたんだって! なのに……パニック障害? うつ病? なんですかそれ!


天音

……玲奈ちゃん、私……わざとじゃ……。


玲奈

なんでそんなに震えてるんですか! なんで、ただ息をするだけのことも忘れてるんですか! 私、毎日何時間も歩いて、筋肉の動き一つ一つを鏡で確認して、ミリ単位でポージングを修正して……水すら飲むのを我慢して、完璧を目指してるのに! 先輩のその、生ける屍みたいな顔を見てたら、私の努力が全部……全部、無意味みたいで腹が立つんです!


天音

……ごめんなさい……。


玲奈

謝らないで! ……怖いんです。あなたが。かつてあんなに輝いていたあなたが、こんなにも無惨に壊れてしまうなんて。いつか私も、先輩みたいに限界が来て、そうやってあっけなくぶっ壊れるんじゃないかって……その恐怖を突きつけられているみたいで、不快なんです! 視界に入れないで!


天音

私は、救ってほしくて戻ってきたんじゃない……。私が、私でいるために……。


 

(黒瀬が重い衣装の束を無造作に投げ捨てる。鈍い音が響く)


黒瀬

天音。着替えろ。今回のメインピースだ。


天音

……これ……。うっ、すごく、重い。コルセットが、肋骨を……締め付けて……。


黒瀬

そうだ。それは呼吸を殺す服だ。中世の拷問器具のように骨格を縛り上げる。極厚の生地が血の巡りを止め、お前の冷や汗を吸ってさらに重く、冷たくなる。それがお前の鎧だ。


天音

息が、できない……苦しい……。


黒瀬

大丈夫だ、天音。無理はするな……なんて言うとでも思ったか? その服に食い殺される前に、歩け。お前のその脆弱な精神を、物理的な重圧でねじ伏せろ。


天音

……っ、はい。


黒瀬

始めるぞ。照明、本番同様の光量を出せ。ストロボもだ。容赦するな。


ちょっと黒瀬さん! いくらなんでも無茶です! 天音はまだ強い光や、大きな音には……パニックの引き金になるって、お医者様も言ってたのに!


黒瀬

黙れ、外野。ここは病院じゃない、戦場だ。


そんな! 待って──


黒瀬

……行け、天音。


天音

……はい。


 

(フラッシュの光が暴力的に瞬き、激しいシャッター音が空間を切り裂く)


天音

……っ、あ……! まぶし……っ、はぁっ、ひゅっ……!


 

(天音の呼吸が乱れ、膝がガクガクと震え、崩れかける)


照明さん、止めて──!


 

(スタジオが一瞬、水を打ったように静まり返る。天音の荒い呼吸だけが響く)


黒瀬

……何を言っている。続けろ。光量をさらに上げろ。


黒瀬さん……!? 殺す気ですか!


黒瀬

今止めれば、この女は二度と自力で歩けなくなる。一生、暗い部屋の隅で膝を抱えて震えるだけの人生になるぞ。それでもいいなら止めろ。


天音! ダメ、私を見て! 息を吐いて! 吸うんじゃなくて、吐くの!


天音

こわ、い……っ、光、消して……! 見ないで……っ。息が……服が、私を、潰す……っ、助けて、雫……!


だから言ったじゃない、外の世界なんてあなたには早すぎるのよ! 私がいなきゃ、あなたは靴一足まともに履けない、何もできないくせに!


天音

なんで……なんで、私、普通に歩くことすら……できないの……! 昔は、あんなに息をするように歩けたのに……!


黒瀬

「普通」に戻りたくて泣いているのか。あの頃の、キラキラと輝いていた完璧な自分に戻りたいと? なら、今すぐそのドレスを脱いで帰れ。二度と俺の視界に入るな。


天音

……っ。


黒瀬

お前は壊れたんだ。過去の天音はもう死んだ。だが、幕は上がる。……壊れたまま歩け。その恐怖も、醜い息遣いも、死に物狂いで酸素を求めるその滑稽な姿も、すべてその重い布に染み込ませろ。美しさとは、完璧な調和の中にあるんじゃない。ギリギリで破綻しそうな命の軋みにこそ、真の美が宿るんだ。


天音

……それが、今の私にできること……なら……っ。


天音……本気なの。


 

(誰もいないレッスンスタジオ。黒瀬がパイプ椅子に深く腰掛け、一人で資料を見ている。雫が鋭い足音を立てて入ってくる)


黒瀬さん。次のステージ、天音の出番を減らしてください。あんな重いドレスを着せて何度も歩かせるなんて、狂ってます。


黒瀬

却下だ。あいつは今回のメインピースだ。


あの娘が今、夜も眠れずにどれだけ薬を飲んでるか知ってるんですか! このままじゃ本番前に本当に心が壊れてしまいます。あなたは天音を殺す気ですか!


黒瀬

……殺そうとしているのはお前だろう、雫。


……っ、なんですって?


黒瀬

俺の目を誤魔化せると思うな。お前は天音が自分の足で立ち上がるのを、心の底では望んでいない。ただの重くて美しいペットとして、自分の小さな鳥籠に閉じ込めておきたいだけだ。


……私は、天音を守ってるんです! 誰も理解してくれない彼女の絶望を、私だけが背負って……。


黒瀬

「私だけが」か。お前が欲しているのは天音の回復じゃない。天音が自分に依存しているという事実だ。その優越感に酔っているお前の顔、吐き気がするほど醜いぞ。


……っ。あなたに何がわかるの。天音の才能を搾取して、あの娘の痛みをショーの見世物にして喜んでるあなたこそ、最低の人間じゃない!


黒瀬

そうだ。俺は最低の演出家だ。あいつの壊れた悲鳴も、過呼吸も、極上の芸術として舞台に上げる。だがな、俺はあいつの「足」を奪うような真似はしない。


……。


黒瀬

お前はあいつの羽をもぎ取り、安全な部屋で一生飛べなくして満足している。俺は違う。血みどろになろうが、這いつくばろうが、あいつをもう一度あの苛烈な光の中へ立たせてやる。


……そんなこと、天音は望んでない。あの子は私がいなきゃ、息もできないのに。


黒瀬

なら、なぜあいつは俺のスタジオに来た? お前の鳥籠から這い出してでも、ここに来た理由を考えたことはあるか。


……それは……。


黒瀬

邪魔をするな。お前のその湿った薄暗い愛は、天音が身を削ってまで舞台に立とうとする執念の前じゃ、何の価値もない。せいぜい客席の一番後ろで、お前の可愛いペットが世界を喰らう怪物に変わる瞬間を見届けるんだな。


……天音が完全に壊れきって、二度と立ち上がれなくなっても、同じことが言えるの?


黒瀬

ああ。その時は、俺も一緒に地獄に落ちてやる。


……勝手なことばかり。あの娘の隣にいるのは、私よ。絶対に、私の手元に取り戻してみせるから。


 

(雫、睨みつけるように黒瀬を見据え、背を向けてスタジオを出ていく。黒瀬は冷たい目でその背中を見送る)


 

(本番当日。舞台裏。重低音のBGMが壁を震わせる)


……手、すごく冷たいね。氷みたい。脈も異常に速いよ。


天音

うん。……ごめんね。


私、もうあなたの手を握ってあげない。今日を限りに、私服の介助も、薬の管理も、全部やめる。あなたが一人で勝手にもがき苦しんで、取り返しのつかないくらい壊れていくのを、客席の一番後ろで見てるから。這いつくばってでも歩きなさい。そして、私なしじゃ生きられないって、泣きながら実感すればいいわ。


 

(雫が冷たく手を振り払い、去っていく。入れ替わるように玲奈がすれ違う)


玲奈

……先輩。


天音

玲奈ちゃん。今日のドレス、すごく……綺麗。


玲奈

同情なんていりません。私、絶対に手加減しませんから。あなたが途中で息絶えようが、無様に転んで笑い者になろうが、完全に無視して私が一番輝きます。あなたなんかに、私の積み上げてきた完璧な美しさを台無しにされてたまるもんですか。


 

(玲奈が鋭い足音を立ててステージへ向かう)


黒瀬

……天音。お前の番だ。息は、苦しいか。


天音

……ドレスが、痛いです。骨が、折れそう……。


黒瀬

だろうな。何千という客の視線は、そのドレスよりも重いぞ。……視線に殺されるな──お前が、殺せ。


天音

(荒く深呼吸)──行ってきます。


(幕が開く。強烈なフラッシュの嵐と、地鳴りのような喧騒。天音が一歩、足を踏み出す)


……始まった。ああ、ひどい。ひどすぎる。足がガタガタ震えてるじゃない。ヒールの音がバラバラだわ。重心も全く定まってない。右肩が下がってる。あんなの、プロのウォーキングじゃない。


玲奈

なに、あれ。……なんで、あんな顔で。顔面は蒼白だし、目は焦点が合ってない。


息が合ってない。肩が異常に上下してる。あれは……過呼吸の兆候だわ。重いドレスの重量感と、プレッシャーに完全に飲み込まれてる。


 

(ふらつきを必死に抑える天音)


……ほら、無理なのよ。やっぱり私がいなきゃダメなんじゃない。今すぐ倒れ込んで、「助けて、雫」って叫びなさいよ。私がすぐに駆けつけてあげるから!


玲奈

……違う。待って。足音が……。


え……? 足音が、何?


玲奈

足音が……揃い始めた。


……嘘でしょ、そんな……。


玲奈

カァン、カァンって……信じられないくらい、完璧なリズム。重心のブレが完全に消えた。でも、おかしい! 呼吸は完全に崩壊してる! 口元は苦痛で歪んで、目は死体みたいに虚ろで──!


どうして……? あんなに息も絶え絶えで、今にも倒れそうなのに、姿勢だけが異常に美しいの……? まるで、見えない糸で天井から吊るされているみたい……。


玲奈

矛盾してる。身体の動きも、呼吸も、感情も、全部がバラバラだ。破綻してる。なのに……目が離せない。なんだか、怖い。怖い……私まで、息が、詰まる。


客席が……静かになっていく。さっきまであんなに騒がしかったのに。誰も、ひそひそ話すらしてない。シャッター音も止まった。何千人もいるのに、空間の音が全部、天音のヒールの音と、あの荒々しい呼吸音に吸い込まれていく……。誰も、天音の痛みから目を逸らせないんだ。


玲奈

やめて……こっちを見ないで。その死んだ瞳で、空間を支配しないで……! 私の完璧なステージが、あの壊れた歩きの前に、ただの退屈な作り物みたいに見えてくる……!


……ターンをした。あの重いドレスを引きずって、微塵も揺るがずに。顔は泣きそうなのに、身体は神々しいほどに傲慢で……あの娘、本当に、壊れたまま……壊れたまま、”完成”されている。


 

(本番終了後。舞台裏の薄暗い通路で、天音が壁に手をつき、糸が切れたように崩れ落ちている)


黒瀬

……終わったな。


 

(黒瀬、客席を見る)


黒瀬

……誰も拍手しない。誰も立ち上がれない──なんだ、これは。


黒瀬、さん……?


黒瀬

違う。俺は、こんなものを作るつもりじゃ……。


天音

……はぁっ、ひゅ……。


黒瀬

お前、何を連れて来た……?


天音

はぁっ、はぁっ、ひゅっ……! げほっ……あぁっ……。


玲奈

はぁっ……はぁっ……ひゅぅっ……!


玲奈ちゃん……? どうしたの、玲奈ちゃんまで、過呼吸……!? 落ち着いて、ゆっくり息を吐いて!


玲奈

ちが、う……息の仕方が、わからない。空気が……肺に入ってこない! 先輩の、あの異常な歩き方を見てたら……私の中の「完璧」の基準が、音を立てて崩れ去って……っ。ぐっ! 苦しい……!


ちょっと、何してるの!? ドレスのレース、そんなに強く引っ張ったら……無理やり引きちぎって、どうするつもり!?


玲奈

足りないんです。この服、着心地が良すぎる! 痛くない! どこも締め付けられないから、普通に息ができちゃうんです! こんな薄っぺらい服で、安全な場所で綺麗に歩いたって、あんな風にはなれない……っ!


やめて! 自分の腕を強く引っ掻かないで、血が出てるじゃない! 正気になって!


玲奈

これじゃダメだ。ただ綺麗に歩くだけじゃ、誰も絶望してくれない。誰も私の痛みに共鳴してくれない! あんな風に、観客の首を真綿で絞めるような、圧倒的な空間支配……足音はメトロノームみたいに完璧に、でも呼吸はズタズタにバラバラに……どうやるの? ねぇ、どうやって生かしているの!?


玲奈ちゃん、お願いだからやめて! あなただってトップモデルなんでしょ!? 自分の美しさに誇りを持ってたじゃない!


玲奈

あんなバケモノみたいなものを見せられて、正気でいられるわけないじゃないですか! 先輩! 天音先輩!!


天音

……。


玲奈

教えてください! どうすれば、あんな美しく壊れられるんですか! 毎日積み上げた私の完璧なんて、ただの生ぬるいゴミだった! 私も、あなたのようになりたい……お願いだから、私をその地獄に連れてってよ!


嘘でしょ……玲奈ちゃんだけじゃない。他のモデルたちまで、自分の服を強く締め上げ始めてる。みんな、異常な呼吸をしてる……!


黒瀬

──天音。


天音

……くろ、せ……さん……。


黒瀬

誰も拍手をしない。誰も席を立とうとしない。客席も、舞台裏の連中も、お前のあの狂った呼吸に感染して、理性を手放し始めている。


天音

私、歩け、ました……か。


黒瀬

温室で綺麗に咲く完璧な花より……自らの花弁を擦り切らせ、泥に塗れながらも天に向かって咲き誇る花。醜く、痛々しく、おぞましいほどの執念。──よくやった。


天音

……ふふ……。


玲奈

……苦しい。息が、苦しいです、先輩……!


天音……あなた、本当に……自分の力で立って、歩いて、人を──世界を、壊したんだ。 永遠に壊れていてほしかった、私なしでは生きられないでいてほしかったのに。やっぱり……あの時連れて行くんじゃなかった!!


 

(数ヶ月後。深夜のレッスンスタジオ)


玲奈

はぁっ、はぁっ……違う、もっと、もっと肺を潰さないと……!


玲奈

あの時の先輩みたいに……血を吐くような絶望を、身に纏わないと……っ。


玲奈

……ひゅっ、あ……あれ?


玲奈

息が……本当に、できない。視界が、ぐにゃぐにゃして……っ。


玲奈

怖い……っ、怖い怖い怖い! 誰か、助け……息が、死ぬ……っ!


 

(玲奈が床に倒れ込み、喉を掻きむしる。ドアが開く音)


黒瀬

……醜態だな、玲奈。


玲奈

くろせ、さん……助け……わたし、あの歩き方を……っ。


黒瀬

お前のはただの狂気の真似事だ。本物の地獄を知らない人間が、表層だけをなぞればどうなるか……。お前は今、かつての天音と同じ暗闇に落ちた。


玲奈

いや……いやぁっ! わたしは、完璧な……っ。


黒瀬

お前は、完璧を目指し続ければ良かったのに、天音の眩い光を追ってしまった。お前はもう、舞台には立てない。闇に飲まれて、這いつくばって生きろ。


 

(黒瀬がスタジオを去る。陽炎が揺れる)


玲奈

……どうすれば。どうすれば、先輩みたいになれるんですか……?


天音

……ならなくて、いいよ。


玲奈

……え?


天音

苦しいし、怖いし、毎日ちゃんと地獄だもん。


玲奈

……でも、私、憧れに、もう目が離せない。先輩みたいに、”普通”のモデルのままが嫌なんです。


天音

──私は、普通が良かった。


玲奈

……えっ。


天音

ただ、歩きたいだけ。普通に、生きたいだけなの。


 

(玲奈、言葉を失う)


玲奈

……誰、なの。


 

 


 

(数日後。巨大なランウェイ。けたたましいシャッター音の嵐)


玲奈ちゃんは消えた。かつての天音と全く同じ、パニック障害と鬱病を抱えて。彼女だけじゃない。あの日、天音の毒にあてられたモデルたちは、次々と舞台から転げ落ちていった。


……でも、あの娘は。


 

(天音が歩き出す。圧倒的な存在感)


天音

はぁっ、ひゅっ……。私──今、歩いてる。


相変わらず、ひどい呼吸。震える指先。……痛々しくて、醜くて、目が離せない。


黒瀬

完璧な蛹から羽化する蝶など、もう誰も求めていない。自身の殻を血まみれにして打ち破り、傷だらけの異形の羽根を広げる……。


天音

私──今、生きてる。


黒瀬

見た目通りの可憐な花が咲くと思っていたが──俺は、とんだ怪物を孵《かえ》してしまったらしい。


天音

……私──でも。でも、私が歩きたい場所は、ここじゃない。一人ぼっちは、もう嫌。


天音

一緒に──二人で、歩いて《生きて》、いたい。


 

(無数のフラッシュが、ただ一人の怪物を照らし出す)


 

 


 

(楽屋裏。スタッフたちのざわめきは遠い。天音、壁に手をつきながら呼吸している)


天音

……っ、はぁ……ひゅ……。


黒瀬

よくやった。来月のスケジュールを渡しておく。読んでおけ。


天音

……お話があります。


黒瀬

なんだ。


天音

……あの、


黒瀬

いや、分かるつもりだ。──お前はいずれ、こうなると思っていた。


天音

……お見通しでしたか。流石は、黒瀬さんですね。


黒瀬

ずっと、見てきたから。でも、最近のお前には驚かされてばかりだったよ。


天音

……そうでしたか。私は、私の出来る精一杯をやってきたつもりです。


 

(黒瀬の表情が少し和らぐ)


黒瀬

──天音。何を求めて歩く。


天音

……”居場所”を、守るため。


黒瀬

……天音。誰のために歩く。


天音

私と──私の、大切な人の為に。


黒瀬

……行け。


天音

……お世話になりました。


 

(黒瀬が去る。すれ違いざま、雫を一瞥する)


黒瀬

……。


お疲れ、様、でした。


 

(天音の楽屋に入る雫)


お疲れ。……まだ、そんな息してるの。


天音

……雫。


化け物みたい。見てるだけで苦しくなる。


天音

……うん。


 

(沈黙)


……ねえ。どうして、一人で立てたの。


天音

一人じゃ、なかったから。


……は?


天音

雫がいたから。ずっと。苦しかった時も、吐いた時も、眠れなかった時も。


……っ。


天音

でもね。ずっと「壊れてたい」とは、思わなかった。


……。


天音

普通に、一緒に歩きたかった。


 

(雫、俯く)


……最低だ。私、あなたが治らなければいいって思ってた。


天音

知ってる。


私がいないと生きられないでいてほしかった。


天音

……うん。


なのに、なんで……。なんでまだ、そんな顔で私を見るの。


 

(懸命に、はにかんだ笑みを見せる天音)


天音

……帰ろ、雫。


……え。


天音

一人じゃ、まだちゃんと歩けないから。


 


……それで、いいの。


天音

うん。あなたとが、いい。


……ずるい。


 

(雫、泣き笑いのまま天音の腕を支える。二人の足音が、ゆっくり遠ざかる)

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