海の声が、聞こえるんだ。
タイトル
セイレーンの婿
作者
瑞田多理
ジャンル
ファンタジー
上演時間
約20分
男女比
男1:女1:不問1
ジョン
不問 15歳
船乗りダニエルの息子。投網を得意とする。操船はまだやらせてもらっていないが、いずれ体得して「海の男」になろうとしている。
ダニエル
男 35歳
船乗り。一流の漁師であり、操船技術に優れる。妻であるセレナを早くに亡くしているが、その悲しみをおくびにも出さず漁に出続けている。朴訥で実直、嘘のつけない職人気質。
セレナ
女 30歳
ジョンの母、ダニエルの妻。故人。とても良き妻であり母だった。
セレナ?
女 15歳 セレナとの兼ね役を想定。別人でも可。
ジョンがセレナの墓の前で出会う、不思議な少女。どこか懐かしく、どこか似たもののような雰囲気を感じる。
セイレーン
役なし。解説のみ。
海に現れる怪物。その歌声に魅入られてしまった船乗りは、二度と丘には戻れないという。
ジョンN
その日はやけに海が静かだったのを覚えている。海面に映る満月の光がきれいな帯になって見えるくらいに。
ジョンN
あんまりきれいだったものだから、俺はその光をずっと眺めていた。親父も見に来たら良かったのに。こんなに風のない夜は不気味だっていって、船室に籠もったきりでてきやしない。
ジョンN
……母さんは、海が見せるいろんな表情が大好きだった。
セレナ
「あなたも、船乗りになって漁をするのかしら」
ジョン
「そのつもりだけど。どうしたの」
セレナ
「そうよね。父さんの子だもの。海の男になりたいと思うのは、当然のことね」
ジョン
「まるで、そうなってほしくないみたいな言い方」
セレナ
「ううん、そうじゃないのよ。逆。母さん、嬉しくって」
ジョン
「そっか。じゃあなんで泣きそうな顔をしているの」
ジョンN
俺が尋ねたことに母さんがなんて答えたかは、……思い出そうとしたけれど、それどころじゃなくなった。
ジョン
「……ん、あそこ。人が浮いてる……!」
ダニエル
「どうした、ジョン」
ジョン
「親父、出てきてたのか。ほらあそこ。月の柱の真ん中あたりに人が浮いてる!」
ダニエル
「(被せて)船を出すぞ、手伝え」
ジョン
「! あいよ!」
ジョンN
俺は炉に火をくべに行った。炭臭さも油の匂いも慣れたもんだった。燃え盛る火を動力にして船が揺れ、動き始めた。
ダニエル
「ジョン! ちょっとゆれるぞ、炉に落ちるなよ!」
ジョンN
その時だった。歌が聞こえた。女の声で、とてもうまかった。船の揺れに足を掬われなかったら、そのまま聞き入っていたとおもう。
ジョン
「っ、あぶね!」
ダニエル
「掴まってろ!」
ジョンN
「セイレーン」。海の男を惑わし、誘(いざな)い、海に沈める……、その言い伝えが耳元で歌っている。
セレナ
「(ジョンのNが終わるまで繰り返す。ゆっくりと、ジョンのNを食わない声量で)おやすみ。おやすみ。可愛い子。おひさまみたいに輝く子。あったかい手とちっちゃい足。たくさん泣いて。たくさん食べて」
ジョンN
(セレナの歌が始まった直後から)普段の親父なら絶対にしない、荒い操舵だった。親父がなぜそんなに焦っているのか……俺だって船乗りの端くれだ、わかってる。満月の夜、海の上で歌が聞こえてきた。それが絶世の歌声とあればなおさらだ。
ジョンN
ただ、その詞のほうがずっと気になっていた。どこかで聞いたような……いや、必ず聞いたことがある。沖の向こうみたいに、本当に遠い遠い昔。
演技指示
セレナの歌終わり
ダニエル
「ついたぞ。ぼんやりするな、船が流されちまう」
ジョン
「……わりい。すぐ行く」
ダニエル
「汗びっしょりだな。夜風に当たって頭と身体を冷やすんだ」
ジョン
「親父だって、すげぇ手汗だぜ」
ダニエル
「命からがら逃げてきたところだ。汗の一つや二つ掻くさ」
ジョン
「日が昇ってきたな。月光が、……隠れていく」
ダニエル
「運が良かったな。月が出ていたからお前が気づけた。わしが航路を間違えなかった。……母さんが、お前のことを守ってくれたのかもしれないな」
ジョン
「母さん……か。来週でちょうど1年になるんだな」
ダニエル
「いなくなった人の歳を数えるのはやめろ。離れられなくなる」
ジョン
「……親父、こんな歌聞いたことあるか」
ダニエル
「いや、しらんな」
ジョン
「そうか」
ダニエル
「今日は休め。今日のがした漁の機会を、明日取り返すんだから」
ジョンN
親父は、話のそらし方が下手くそだった。昔からそうだ。朴訥で真っ直ぐで、嘘のつけない男だった。
ジョンN
だから思い出した。
ジョンN
あれは、母さんの子守唄だ。
†
セレナ
「どこへ行くのジョン」
ジョン
「うるせぇ、あっちいけよ。海に出るのに女の匂いがついてたらいけないんだ」
セレナ
「まぁ、すっかり海の男になったわねぇ……気持ちは!」
ジョン
「離せ!」
セレナ
「はい、それじゃあ鼻を吹きましょうね。海の男がはなったれじゃあ、格好つかないものね」
ジョン
「そのくらい自分でできらぁ!」
セレナ
「うふふ……いつになってもおひさまみたいな子だわ」
ダニエル
「おい、ジョン。ジョン!」
ジョン
「ん、わり、寝坊か」
ダニエル
「いや、ひどい寝言だったから起こしに来ただけだ」
ジョン
「そうかよ。……とても懐かしい感じだ。なんて言ってた、俺」
ダニエル
「しきりに離せ離せっていうもんだからてっきり悪夢かと思っていた。そういうことなら、……悪いことしたな」
ジョン
「漁まであとどのくらいある」
ダニエル
「寝直せるほどのんびりはできん。海の様子を見ておけ。お前もいつか船を操るんだから、海の声をきけるようになっておくんだ」
演技指示
(ちょっと空ける)
セレナ
「男の人には聞こえるんですってね。海の声っていうのが」
ジョン
「なんだそりゃ」
セレナ
「父さんに聞いてみて。ジョンにもいつか聞こえるわ。本物の、海の男の息子なんだもの」
演技指示
(ちょっと空ける)
ジョン
「親父、昨日の唄……だけど」
ダニエル
「ああ……母さんの詞だ」
ジョン
「あの唄は母さんしか知らないはずだ」
ダニエル
「……わからん」
ジョン
「化け物が真似してるだけ、ってことか。そうだよな」
ダニエル
「……そうだ、ろう」
ジョン
「母さんに会ってくる」
ダニエル
「(被せて)よせ」
ジョン
「なんだ、急に。灯台の墓に行くだけだ」
ダニエル
「ああ、……そうするといい。踏ん切りもつくだろう」
†
ジョンN
俺達の村の、墓は灯台の下に集まっている。だれがそうしはじめたのかはわからないけど、海に出ることで生きてる俺達にとっては、……先に旅立った人たちが道行きと帰り道を照らしてくれるっていうのはわかりやすくてよかった。
ジョンN
でも、母さんはこの石の下にはいない。物腰柔らかでいつも優しかった母さんが言った、最初で最後のわがままがそれだった。
セレナ
「私の棺桶はね、海に流してほしいの」
ダニエル
「まだ熱もひどい。あまり喋るな。咳もでるだろう」
セレナ
「お願いよ、頼んだからね、お父さん。ジョンも……」
ジョン
「まだ、……そんな話早いだろ。元気になるんだから」
セレナ
「優しい、海の男になったのね。つい昨日まで鼻水なんか……(咳き込む)垂らしていたっていうのに」
ジョンN
そのときの俺には、母さんの手を握ってやることしかできなかった。びっくりするくらい冷たくて、細くて、この人はもう死ぬんだと嫌でも思わされた。
ジョン
「今日も月が出てるのか。満月の次の月……確かに欠けてら」
ジョン
「母さんを海に流したのも、……こんな月の晩だった」
演技指示
以降出てくるセレナ? は「セレナ」より15歳程度若い女性として演じる。
セレナ?
「お母さんのお墓なの?」
ジョン
「村の娘じゃないな。どこから来た……ここはよそ者が立ち入っていい場所じゃない。そのくらい見てわからないか?」
セレナ?
「うん。でも、君のことがほっとけなくて。そのまま、崖から飛び降りそうに見えたから」
ジョン
「……お人好しなんだな」
セレナ?
「(被せて)呼ばれているんでしょ、海に」
ジョン
認めたくないけど肯定せざるを得ないため息。
ジョン
「通りがかりのあんたに話したって何にもわからないだろうけど……いや、だから話すんだが。ずっと母さんの声が聞こえる。──海から」
セレナ?
「間違いなく、お母さんの声?」
ジョン
「……多分。でも、こんなにきれいじゃなかったかもしれない。咳き込みがちで、声がかれてることのほうが多かったから」
セレナ?
「体が海に帰ったから、心が自由になったんだよ」
ジョン
「ちっ、何なんだお前さっきから。母さんの何を知ってるっていうんだよ」
演技指示
(ちょっと空ける。振り向く間)
ジョン
「……!」
セレナ?
「どうしたの、私の顔になにかついてる?」
ジョン
「あんた、……いや、変なことを聞くんだが、……本当にどこから来たんだ」
セレナ?「聞きたいことは本当に、それ?」
ジョン
「ああ、ちがう。多分、俺はあんたに会ったことがある。どこだか覚えてるか」
セレナ?
くすりと笑う。
セレナ?
「それは多分気のせいだよ。私は、君のことは欠片も知らない。まだ私は誰のものでもないし、誰ともお付き合いもしたことないもの」
ジョンN
単純なものだと、俺は自分で自分が嫌になった。いつの間にか俺は、この、十人並みの顔をしたただの娘が、どうしても欲しくて仕方なくなっていた。ずっと聞こえていた母さんの声が、聞こえなくなるくらいに。
(演技指示)
セレナ? は焦らない。
セレナ?
「離してもらえる? 海の男は馬鹿力なんだから、抱きしめられてるだけでちょっと痛いの」
ジョン
「ちゃんと飯食ってるのか。骨と皮ばかりで、とても冷たい」
セレナ?
「いけないよ。こういうのは」
ジョン
「飛び越えていけない決まりはないはずだ」
セレナ?
「(被せて)ごめんね。でも、もう時間だよ」
ジョン
「なんの」
セレナ?
「君が、海の男になる時間。海に抱かれて一つになる時間」
ダニエル
「おい、どこだジョン。そろそろ漁に出るぞ」
ジョン
「……また、会えるか」
セレナ?
「うん。……ううん。多分、同じようには会えない。そろそろ行きなよ、お父さんが探してる」
ジョン
「……まて、今なんて」
セレナ?
「それに、海に出るのに女の匂いがついてちゃ、格好つかないでしょ」
ダニエル
「ジョン、どうした。そんな崖っぷちに立って」
ジョン
「……」
ダニエル
「今日は休め。俺ひとりで出る」
ジョン
「……わりい」
ダニエル
「真っ青な顔してるやつを船に乗せるわけにはいかん……おい、大丈夫か。突然膝から崩れ落ちるやつがあるか」
ジョン
「なぁ、母さんの昔の写真ってあるか」
ダニエル
「……帰るぞ。そして気が済むまで見ろ」
ジョンN
ほとんど引きずられるようにして帰った家で、俺は父さんと出会った頃の母さんの写真を見た。全く別人で会ってくれと願いながら。
ジョンN
血の気が引いていた気持ち悪さも相まって、俺は腹の中のものをひとしきりぶちまけていた。突然現れて突然、月光の粉になって消えたあの娘は。
ジョンN
母さんだった。
†
ダニエル
「まだ呼び声が聞こえているか」
ジョン
「ずっと。強まってる気がする。ほっといていいのか、これ」
ダニエル
「良くはない」
ジョン
「これが、海の声なのか。親父にも聞こえてるのか」
ダニエル
「違う。お前を呼んでいるのは、あの化け物だ」
ジョン
「母さんの声で、きっと母さんの姿をしてる」
ダニエル
「それでも、ちがう。あれはセレナじゃない。気をしっかりもて」
ジョン
「ありがとう、心配してくれて」
ダニエル
「……会いたいか」
ジョン
「叶うなら」
ダニエル
「なら、乗っていけ」
ジョン
「これは、操舵室の鍵だ。でも親父の船じゃないよな」
ダニエル
「お前の爺さんの船だ。ちと古いが手入れはしてある。こんないい月がでていれば、沖に出て戻ってくるくらいはできるはずだ」
ジョン
「親父は……来てくれないのか」
ダニエル
「不安か?」
ジョン
「違う! 母さんにもう一度会いたくないのか、って聞いてるんだ」
ダニエル
「俺のセレナは死んだ。もう、おれの心のなかにしかいない。セレナが呼んでいるのは、お前なんだ」
ジョン
「だから、ひとりで行けって」
ダニエル
「ただ、これだけは言っておく。いいか、必ず帰ってこい」
ダニエル
「一人で漁をするのはしんどいんだ」
ジョン
「ありがとう」
演技指示
(ちょっと空ける)
ダニエル
「これでいいのか、セレナ」
演技指示
(ちょっと空ける)
ダニエル
「なら、よかった」
†
ジョンN
思えば、その日の海は初めて会った日と同じだった。凪いだ水面に浮かぶ大きな満月。月明かりが示す道。その先で女の子が、誰に向けるでもなく歌っている。
ジョンN
人呼んで伝説の怪物。クソ喰らえ。俺はもう、彼女が誰なのか知っている。
ジョン
「きたよ、母さん。その歌のお陰で迷わずにここまでこれた。ありがとう」
セレナ
「ジョン、……なのね。ひとりで舵を取ってきたの」
ジョン
「そうだよ。爺さんの船だ。ちょっとクセがあるけど、すぐ慣れたよ」
セレナ
「そう。本当に立派な、海の男になったのね。もっと近くで、顔をよく見せて」
ジョン
「だけど、だめなんだ」
ジョン
「海の声が、聞こえないんだ。今のままじゃ」
セレナ
「……ふふ」
ジョン
「何がおかしいんだよ。俺は」
セレナ
「モリを構える姿も、すっかり様(さま)になって。六つのときには持ち上がりもしなかったのにね」
ジョン
「海の底は、冷たかった?」
セレナ
「いいえ。とっても温かい。あなた達の心が、ずっとそばにいたから」
ジョン
「(被せて)じゃあなんで、今更でてきたんだよ」
演技指示
(ちょっと空ける)
セレナ
「あなたの、その姿を見届けるためよ。ジョン、私の自慢の、海の男」
演技指示
(ちょっと空ける)
音響指示
肉を貫く音
ジョン
「ありがとう」
セレナ
「どういたしまして」
ジョン
「……もう、行く」
セレナ
「ええ、そうして」
ジョン
「……さよなら」
セレナ
「胸を張って、生きなさい」
ジョン
「海の男、だから」
セレナ
「……ふふ、せめて鼻を拭きなさいな」
ジョン
「うるせぇ……最後くらいガキでいさせろよ」
セレナ
「うん。ありがとう」
†
ジョンN
母さんは卵の黄身のような月明かりに溶けていった。そのことを親父に伝えると、あの岩のような顔をクシャクシャにして泣き出した。
ジョンN
俺はもう泣き腫らしたあとだったから、親父の背中をずっと擦っていた。
ジョンN
その間も、親父が鼻をすする音に混じって、海の声が聞こえる。こんなにたくさんの声が、歌が海に眠っているなんて、思いもしなかった。
ジョンN
それで、俺は漁師になれた。随分遠回りをしたものだった。
ジョンN
ただ、いつか父親になったなら、こんな荒療治は絶対にさせたくない。